次世代経営者の奮闘記【前編】

2022.05.03 / エクセレントケアシステム

株式会社エクセレントケアシステム
常務取締役 大川 文也

前回の序章では、私の現在の心境と「夢」を記事にさせて頂きました。
今回からは、前編、後編と2回に分けて、簡単に10年間の過去を振り返った記事を書かせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。

2012年 目の前の業務に必死 一所懸命の日々

入職当初は、本社に配属され、経理関係、情報システムの仕事に携わり、バックオフィス部門の業務、組織に無くてはならない縁の下の力持ち業務を学びました。

経理業務では、前任者の引継ぎがなく、経理入力が何か月も山積みになっている状況で、いきなり山場を迎えました(笑)。当時の顧問税理士事務所の担当であった吉岡確さん(現在は開業され税理士として活躍される)に非常にお力を貸して頂き、ほぼ私のOJT担当者の様な形でご指導頂きました。過去の資料やデータ入力の整理に追われ、業務量の多さに疲弊しながらも精一杯やっていたのですが、吉岡さんから「エクセレントは経理体制が弱い」とのご指摘を受け、自分が批判された様で悲しみと悔しさがあったのを覚えております。(そのような意図はないのは当時から分かっていましたが)
そして、初めての決算では、吉岡さんに入力修正等の大部分をお任せしてしまい、大変ご負担をおかけしただろうなぁと反省しております。いつも優しかった吉岡さんに本当に感謝しかありません。

そんな中でも少しずつ業務改善するために、現在請求書作成に利用している雛形となる集計表をVBAで作成したり、仕分入力の手順確立、仕入れの精査、取引業者の精査等の業務に地道に励みました。また、経営状況の指針である経理データは自分が作成しているのだという数字に対する自信や自負もその際に身に着けました。

そして、随分と経営陣に成長を支援頂いたのを記憶しております。例えば、開設予定の損益計画を任せられたり、新卒で右も左も分からない私が新会社の代表となり、某銀行部長の前でグダグダのプレゼンをした(あえてさせられた)記憶等も今となれば良い思い出です。PL、BSの理解だけでなく、キャッシュフロー計算書の理解や、消費税の仕組み及び計算方法等もこの頃に学びました。

情報システム関連では、大学の専攻が情報学部であったこともあり、会社のサーバー構築等の社内インフラ整備、PC設定、トラブル対応を当初は一人でこなしておりました。当時はサーバーすらなく、データのバックアップすら不完全で、「どうしたものかな」という感情と同時に、「自分でも役立てそうな事があるな」と思ったことを覚えております。

この頃は、大げさでなく、毎日、次々と課題を認識し、問題も浮上しておりましたので、夕食を食べてまた職場に戻り、深夜まで仕事をすることが日常でした。今、振り返ると当時一緒に遅くまで業務に付き合って頂いた管理職の同僚の職員がいらっしゃったのですが、ご本人とご家族に本当に申し訳ないことをしたなと思っています。現在では、個人、家庭、会社の3つのバランスを保ってこそ、職員の組織に対するエンゲージメントが高まり、結果、個人と組織の両方が幸せになると理解しています。

2013年 マネージャー見習い 後悔する出来事

京都支店を立ち上げるために、京都へと赴任した年です。

京都支店での私の業務は、京都での初めての新規施設立ち上げの支援であったり、事務関連業務のルール構築や事務雛形の作成等です。(ちなみにこの年にヘルパー2級を取得し、初めて実習で他法人の施設を見学し、自社との比較が出来た事も覚えています。ちなみにこの時実感したのは、エクセレント鹿鳴館のサービスは実習先のデイサービスと比べても断然素晴らしいという事でした。)

京都支店を立ち上げたのは、京都で初めての介護施設運営を始めるためでした。何とか皆で協力し開設まで漕ぎつけたのですが、運営が始まってから、印象的だった出来事があります。それは「上司部下の職務範囲と責任感」についてです。

当時開設準備を行っていたエリア責任者から、新規施設のあらゆる業務が新施設長に業務移管がなされ、新施設長に重く業務負担がのしかかっていた時期です。当時のエリア責任者は「施設長になったのであれば、施設内の事は施設長の責任において判断し、実行すべき」と周囲に説明しておりました。ですので、施設長が悩んでいることに関して、積極的な介入をしているようには見受けられませんでした。寧ろ当時の施設長の部下が遅くまで上司である施設長業務を手伝っていた印象があります。

当時、私はマネジメントのマの字も分かっておりませんでしたので、違和感はありましたが、「そういうものかなぁ」と漠然と感じておりましたが、今では、役職者に何が必要か分かっています。

確かに施設内のことは施設長の責任において判断すべきではあるのですが、それは任せてしまっても業務遂行が可能な部下の話です。つまり、当時の責任者が話しているのは「職務範囲」について話しており、上司としての「責任感」で部下をフォローするという責任感が不足した発言だったのではと感じています。役職者を孤独にさせるべきでなく、どんなに役職が高くなってもメンターの様な存在が社内外にいるのが私は理想だと考えています。

正直な所、自分の業務をこなすので精一杯になってしまうと、部下のフォローが不十分になった経験は、私にも多々ございます。ですので、公明正大に指摘すべき様な事ではなく、記事にするか迷いましたが、後悔だけしても意味がなく、経験を共有してこそ組織の経験として生かされるため、記事に致しました。

現在ではこの様な経験が発端となり、その後も様々な経験を経て、スーパーバイザーは1on1を毎月管理者と実施する様に決めております。特に管理者の皆様が助けを必要としておらず、問題となる事がなくとも、日頃から管理者とスーパーバイザーでコミュニケーションをとれる仕組みが重要だと思うのです。

2014年 部下の言葉で自分を知り、役職者の在り方を知る

グループとして初めて愛知県に進出した年です。

それもM&Aによる他法人の経営の継承からのスタートでした。エクセレント天白ガーデンヒルズという名古屋市の天白区にある96室の大型事業所です。当時の取引金額が十数億円はあったと思いますが、入職3年目の私がまさかの取引の契約書チェックや利回りを決定する積算根拠資料等の作成を行うことになるとは思いませんでしたし、契約が進む際には、社長、専務からの後は任せた感が尋常でなく驚きました。

20代で上場企業のヘルスケアリートの社長及び役職者に囲まれながら一人で電話会議対応をしたのは良い思い出です。責任を背負わせすぎではないかと、当時思いましたが、今思えばあえてさせていたのだと思います。

私が赴任した時にはすでに、当時の取締役(現常務)が施設長として、全く組織風土の違う施設へ内部統制のために赴任しておりました。私がそこへ合流し、与えられた役割は、バックオフィス部門業務のほぼ全てを一人で担うという事でした。経理は勿論、労務もソフトのインストールから初め、ゼロから構築していったのを覚えています。

労務関係の仕事はその時初めて携わりました。本社の労務担当にどうしても分からない事は電話でお聞きし教えて頂き、大変有難かったです。職場には、勿論先輩もいないので時間はかかりましたが、自分で調べたり、実際に役所等に足を運んだりして学びました。

そうすることで、職員の待遇に直接かかわる業務を経験し、ルーティン業務を確実に間違えずにこなすことが当たり前に求められる労務担当者の大変な気持ちを知りました。また、所得税、住民税、社会保険、年末調整、確定申告などの仕組みを学び、社会人として知っておくと便利な事も実務から学びました。

しかし、赴任前から予想はしておりましたが、当然最初の数か月は初めての経験ばかりで、学びながらの体制構築ですから、毎日の様に夜中まで業務をこなしておりました。
そして、私が半年程で、ある程度確立したこの様な業務を、部下に引き継ぐ時が来るのですが、その時の部下の男性に陳情された言葉は今でも忘れられません。

「私は、大川さんの様には出来ません。」

この言葉は、当時の私のポリシーであった「自分の責任感において、どんなに徹夜しても仕事をやり切る事が重要」という勝手に思い込んでいた考えを柔軟にするきっかけとなりました。自分は経営者の親族としてオーナーシップがあるのは当然で、自然なことですが、それは部下に強要するものではないなと気づかせてくれました。

この様な経験もあり、現在では、仕事への熱意は人それぞれで、責任感や、オーナーシップ、ワークエンゲージメントといったものは、上司が強制するものではなく、職員自身や組織として醸成していく必要があることを理解しています。

一つ前の2013年の記事で、「責任感が重要だと語っておきながら何を言っているのだこいつは」と思われるかもしれません。しかし、この一見矛盾した事を実現するために、経営者及び役職者は謙虚でありながらも、同時に意志の強さを持ってビジョンを掲げ、語り、皆をワクワクさせなければなりません。

そんな中、役職者は少しずつ経験を積みながら、責任感であったり、オーナーシップを醸成していくのものだと感じています。つまり部下の育成は通常時間がかかりますし、「自分と同じように出来るはずだ、自分はこうやってきた」と決めつけるのはよくありません。そのために、役職者は正しく物事を進めていくためのマネジメントスキルを身に着ける必要があるのです。懐かしい記憶ですが、現在も彼には当グループで活躍頂いております。

その後は、グループが初めて関東に進出した年でもあったため、名古屋での業務を部下に引き継いだ後、神奈川の平塚市で半年程勤務をしております。
余談ですが、当時は、平塚市内のビッグ中華という中華料理屋によく通っておりました。そこでホッピーという飲み物を初めて知り、これが関東か(違うと思います 笑)と思いながら、楽しんでおりました。まさか後に、ホッピービバレッジ社長の石渡美奈さんにお会いする機会があるとは想像もしておりませんでしたが。

また、2014年の大きな行事として創立10周年パーティーもございました。サムネイルの写真はその際に撮影した写真です。兄弟の写真ですが、当時は、兄弟でも私しか当グループに所属しておりませんでした。後に、兄がグループへ合流することとなります。その話は、またどこかでコラムに書きたいと思います。

2015年 ハート福祉会の設立とこども園開設に向けて

2014年の末頃から、認定こども園の運営を行うために、社会福祉法人ハート福祉会の設立に向けて、奔走しておりました。

当時、社長からトップダウンで設立の指令が下りて来たので、事の重大さも分からず担当を引き受けましたが、社会福祉法人の設立のための資料は膨大で、行政とのやり取りや、準備に向けての調整に大変苦労した年です。

まず、設立から右も左も分かりませんでしたが、設立に関して詳しい方(イツモスマイル(株)の和田様)に運よく書類作成をご支援頂けることとなり、非常に助かった記憶がございます。

法人設立も大変でしたが、それ以上に大変だったのは、認定こども園のオープンまでに必要な認可申請手続きや、ホームページ作成、運営のための書類準備、スタッフの確保、近隣自治会との調整等で、あっという間に時が過ぎ去りました。

新しいチャレンジの際の大変さ、特に時間管理の難しさを学びました。現在であれば、もっと効率的な進捗管理が可能でしょうが、当時はがむしゃらに仕事をする事しか出来ませんでしたので、やはり長時間労働に陥っておりました。

しかし、そんな中でも園長先生、主任の先生方が素晴らしい人間力及び経験をお持ちでしたので、自信を持って、保護者の方にも求職者の方にも、法人及び設立予定園の説明が出来た事が何より私の支えとなり幸運でした。翌年、無事にオープンを迎えることができたのは、園長と主任のお二人を中心とした職員の皆様のおかげです。本当に感謝しかありません。

2016年 組織の在り方を深く考えた年

執行役員や管理者の退職等が重なり、組織体制の事を深く考えるキッカケとなった1年でした。

事業拡大を目指すだけでなく、同時に内部体制の確立を進めていく必要があると強く思った年です。当時、人材開発部や人事総務部等ございませんし、自分が人事制度や採用面の取り組みを推進していくしか会社が生き残る道はないと本当に思いました。強い危機感を感じた年でした。

この年は、本当に会社にとって重要な年であり、組織の在り方を考えさせられる年でした。端的に言うと、「現実を直視する」ことが経営陣には必要だと認識した年です。この部分はどうしても長くなるため、また機会があれば、別のコラムで書きたいと思います。

と、ここまでが前編になりますが、お分かりの通り、最初の5年は、責任感を強く持って業務改善とチャレンジを続けましたが、自分が未熟な部分が多々あり、多くの失敗を経験しました。そして、要領が分からない中、無謀な働き方も行って参りましたが、個人としては若くしてある程度のスキルが身につき、大変良かったなと思っています。

そして、後編も近いうちにアップ致します。期待せずに待って頂けると幸いです。
ここまで長文を最後までお読み頂いた皆様にお礼申し上げます。引き続きエクセレントグループをどうぞ宜しくお願い致します。

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