看取りはいつ始まるの?
それは、初めてお会いした時に始まる。
我々は絶えずご本人と、ご家族との間に信頼関係を築き上げ、
本当にその時が来た時には、
全ての遠慮を排してかかわりあう。
だから、はじめましてとお会いした瞬間に始まる。
母は、(激動の時代を生き抜き、苦労の連続だった、だから)
エクセレントさんでの生活が一番幸せだったと思います。
ご家族の言葉に感謝の気持ちと共に胸が詰まる。
瞬時も忘れない、いつも仕事の原動力。
看取りが始まると、基本的に医療従事者は一歩引く、
介護職がその方の全てに寄り添う。


必ずすること
お部屋の中をピカピカにする、塵ひとつ見逃さない。
空間を遮断しない。
音を遮断しない。
照明に差をつけない。
生活空間を共有する。
いつも気にかけている。
計測機器に頼らない。
語りかける。
スキンシップを行う。
仲間が見舞う。
ご家族が24時間いつ来られてもいいし、泊っていただいてもよい。
(11連泊された娘さんもおられた)
結局、普段のかかわりと変わりない。


他の入居者さんがお見舞いに居室を訪れる。
そこでは、にぎにぎしく歌ったり
会話したり、手を握り合ったり、
体をさすったり、そして泣き笑い。


元気だしや。
ちゃんと食べなあかんで。
(フロアに出てくることを)待ってるで。
もう叶わぬことかもしれないが、その言葉をご本人は、薄目を開けて聴いている。
ご家族と職員は、暖かみあふれた言葉のあるかかわりをじっと見ている。
いっぱい話しかけ、体をそこら中さすり、最後にもう一度、はよ元気になりや、と居室の入り口で声をかけ、気丈な面持ちで居室を後にして、トイレに駆け込んだHさん。
トイレの中で号泣していた。もらい泣き。
五感を存分に働かせて、体調の推移を感じ取る。
いつもとどう違うか、必死に感じる。
普段から接していないと、今の状態がいかなるものかわからない。
すべてが終わると、医師に伝える。
先生が来なくなってから今日までどんなことをしたか。
どんなかかわりをしたか、
誰が関わったか。
それらを伝える。
Y先生から教わったこと。
枕もとで孫がテレビゲームの音をガチャガチャさせていてもいいのよ。
そんな生活音を絶やさないでね。
多職種が語り合った足掛け2年に及ぶ看取り勉強会にて、心に残る言葉。
看取りの場にある自分はどういう存在でありたいかの問いかけに、
猫のような存在かなあ、猫は何にもしてくれないけれど、いてくれるだけでうれしい、抱きしめたら暖かい。
ゴミ箱かなあ、普段は目立たず部屋の隅っこにあるだけなんだけれど、絶対に必要なもの。
名言だなと思う。そして一所懸命考えてみることが行動の礎になる。
悲しみの淵にあるご家族の想いを、Y先生は、ただひたすら聞いていた、
同調もせず、否定もせず、ただ、聴いていた。その二人の姿がいつも目の前にある。

職員は、他の入居者を誘い、居室へお見舞いをする。
そして時には、みんなで歌う。部屋がぎゅうぎゅうにもなる。ご家族こそ一緒に。
みんなで歌いませんかとお誘いする。泣き笑いの即興音楽会がにわかに始まる。
Y先生、今、こんなことしてるんですよ、とSNSで報告した。
数分後、Y先生が私に電話してきた。
あなた、すごいことしてるね。何がすごいって、素晴らしいって、他の入居者さんも、巻き込んでいること。その入居者さんたちがきっとこう思うでしょう。
私が逝くときもきっとこんなに楽しく送ってくれるときっと思う。
そこが素晴らしいんだよと。
グループホーム・小規模多機能型居宅介護
スイート上桂
管理者 本多 政彦